2012年4月26日 (木)

チェコ音楽の魅力

内藤久子  ユーラシア選書 東洋書店  2007120日  

名前に魅かれて読んでみた。スメタナとドボルジャークとヤナーチェクに関して分析をし、それらの中からチェコの音楽とはなになのか、を探っている。スメタナにしろ、ドボルジャークにしろ、特にヤナーチェクについてこうした形でその生涯や音楽について書かれた本を読むのははじめて。著者は鳥取大学教授。学術的なきちんとした本だからだろうか、私には大変に読みにくかった。一つの文章が平均的に3行以上もあると私の頭には言葉があふれる。ましてその言葉が、普段自分が使わない類の言葉だと益々である。言葉は難しい。大分苦労した。

しかし内容は魅力的である。そして思ったこと。不滅の命をあたえられた本当の芸術作品にチェコ特有のものというのは本来ありえるのか、という疑問であった。それを創った人特有の事はあろうが、なぜチェコ特有なのか。なぜチェコ特有の音楽でなければならないのか。社会がそうしたものを求めた時代というのがあったのだが、それは一つの過渡的な現象ではなかったか。

次にヤナーチェクという人は自分の音楽に関して、論文を書いたりしているようだし、論理的な方法論から音楽を造ったように書いてある。理論先行だとどうしても音楽は難解になる。

音楽には聞く楽しみ、演奏する楽しみ、作る楽しみがある。人は自ら作り、演奏し、聞いて楽しみたいものである。若い人がギターを片手に自作の歌を歌う、そして仲間の歌を聞くというのはこうしたことである。高度な芸術的な音楽を作曲することは、一般人には不可能。しかしせめて自ら演奏して楽しむことはあるべきだろう。もともと弦楽四重奏曲などは専門家ではない人たちが演奏するから楽譜が売れたのである。作曲家もそのために作曲した。しかし現代の芸術的な音楽は、特に理論的な根拠をもとに書かれたような曲は、こうして非専門家が演奏して楽しむことを拒んでいるのではないか。一体だれが演奏するのか?誰が聞くのか?演奏されない音楽は存在しないも同じではないのか?

何かそんな芸術議論を考えさせる本だった。

2012426日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月17日 (火)

ドン・ジョバンニ

河上徹太郎 講談社各術文庫 講談社  1991210

本書は河上徹太郎のモーツァルトに関する著作を集めて編まれたもので、最も早いもので昭和13年、最も遅いもので昭和53年に発表された評論である。

私も若いころはこうした音楽に関する評論や著作をよく読んだものである。しかし、最近は読まない。所詮こうした評論は評論という作品なのであって、音楽ではない。音楽を言葉という体系で理解するということが基本的に無理であるとも感じている。音楽は音の流れであって、それ以上でも以下でもない。言葉でそれをなぞっても別次元の理解とならざるを得ない。

この本を読むと時代を感ずる。評論というのは時代に流されるものだということだろう。

「ヨーロッパを知らぬ私に「ドン・ジョバンニ」の舞台の正確な印象などないのである。レコードやコンサート・ステージから断片をかき集め、ピアのスコアを自分でかなぐり、手当たり次第の読書でその印象を補うだけである。」ああ! 舞台を見たこともなくても評論を書いて本にしてしまう。それは情熱なのだろうが、そのすさまじさには恐れ入るほかはない。

「彼の交響曲がその歌劇の延長であるということは、丁度、交響曲のテーマが歌劇の登場人物と同じ意味を持つということである。」モーツァルトはそんなことを考えて作曲したか?モーツァルトの全集が手軽に手に入る時代から見ればこんなことを論じても仕方がないのではないのか、と思う。

ここにある音楽理解の内容は○○楽派だからこうなのだろう、といった感じのもののように思う。その考え方は、文化は本で学べるもの、本で学べば欧州文化はわかることができるもの、という風なかつての日本人の考え方に共通していたものである。

今私はそうではないと感じている。文化は肌で感じなくてはわからない。肌で感じてそこから自分が何を引き出してくるかが問題なのだ、と思う。

2012417日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月15日 (日)

新日本フィル492回定期演奏会 トリフォニ―シリーズ

2012年413日の演奏会を聞いた。日本でもこのような曲目で演奏会が成り立つようになったか、と感じた一夜だった。

演奏会はチェコの作曲家の曲目を集めたもの。あまりポピュラーな曲目ではない。まず、ヨセフ・スークの組曲「おとぎ話」。たいそう美しい、一見、何の奇もてらわない、平易な音楽のようでいて、実は随所に新しい響きがちりばめられている、そうした曲。ボヘミアの野をわたる乾いた風のにおいがするような曲であり、演奏だった。

次はアントン・ドボルザークのヴァイオリン協奏曲。ドボルザークらしい曲。ソリストはマティアス・ヴァロング。使用楽器は1676年製(!)のグァルネリ。たいそう美しい響きだが、少し解釈がロマン派的であったか。ドボルザーク的な土の薫りに欠けたように思う。アンコールは無伴奏パルティータ。音の美しさが際立った。

最後のステージはヤナーチェクのイェヌーファ組曲。日本初演。大層、力のある曲。前2ステージとは異なり曲自身にチェコらしさはないように思う。もっと人間の本質に迫るような、そうした曲か。どこかで元のオペラを見たいものだ。

今回のこの曲目は、オーストリア人である、指揮者アルミンクの思い入れがこもった組み合わせであるように感ずる。ヤナーチェクはウィーンから程遠からぬブルノで作曲したとのこと。世界中にはたくさんの作曲家により、たくさんのよい曲が書かれているのだ、と感ずる。そうした曲を勿論全部聴くことはできないが、しかし、こうして少しずつでも知ることができるのは幸福である。商業的にはなかなか難しいであろう、こうした演奏会を聴きながら、演奏をするとは、音楽をするとはどういうことなのか?などと考えていた。


2012415日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月 1日 (日)

聖書時代史 旧約編

山我哲雄  岩波現代文庫   岩波書店   2003214

もともとは1992年に発行された本の内容を大幅に改定して編集したものらしい。文体が読みにくいところと、問題なく読める部分に分かれるように思った。バッハつながりで読んでみようと思った本。

この本に内容は、まったく自分の知らないことばかり。旧約聖書の内容と考古学などの知見を比べて本当はどのような歴史であったのかを述べる。専門書と言ってよいであろう。それにしても、誠にこの世の中の知識は広大無限であり、自分の知りえるのはそのうち億分の一にもならない、と思う。

少しはユダヤとかそのあたりの知識が増えつつある。この本の最後のほうにはヘロデ王とかローマ時代のユダヤの話が出てくるが、そもそも、ユダヤとは何なのか、イスラエルとはどう違うのかの知識すら自分にはなかったのだから、こまったものだ。そうしたことを少し知りえただけでも、そして世の中には多くの世界が多重的に存在しているのだと言うことを知っただけでも価値があった。

少し頭の整理をする必要があるだろう。

2012325日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月23日 (金)

オーケストラは素敵だ

茂木大輔 中公文庫 中央公論社  2006925

N響の第1オーボエ奏者の音楽修業についての思い出談義。とてもおもしろい語り口の本。音楽に多少なりとも興味のある人なら誰でも楽しめるのではなかろうか。

人生に同じチャンスは二度ない、とどこかで読んだようなことが書いてある。ドイツでオーディションを受けて失敗した時のこと。そうなんだな、と自分も素直に思えるようになってきているのがおかしい。自分はただのサラリーマンだけれど人生は本当に一期一会なのだとこのごろ感ずる。

演奏がうまくゆき、その音の響きの中にいて幸福だと思えること、そのために苦労して練習する。それが音楽をするということではなかろうか、と書いてある。最近、自分は何故歌など歌うのだろうと思うことがあるが、やはり演奏を終えた時、うまくいった時の幸福感は何物にも代えがたいものだ、そのためにやるんだろうな、と思っている。もちろん、この本の著者が感じるレベルは世界最高水準であり、レベルは全く違うのだが、きっとこういうことなのだろうと思う。

それからバッハ病患者になる経緯。著者はドイツでの修行の時、強制的に聞かされた経験による、と書いている。わたしは入った団体がやるから練習したにすぎないのだが、やはりバッハ病患者になった。アイゼナッハの教会にも行った。へぇ~あそこで、ロ短調ミサをやったのか、と思うと感慨が深い。

音楽に関する本は、音楽に関する知識を得るために読むのが普通だが、この本は音楽の楽しみを増やすために読む本だと思う。稀有な本である。

2012323日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月27日 (月)

千葉県民合唱団 ドイツレクイエム 演奏会 2012年2月26日

今年も、この大規模な合唱団の演奏会が終わった。千葉県文化会館。曲目はドイツレクイエム。楽しかった。長年、もう一度歌いたいと思っていた曲だったこともある。ブラームスの美しい曲だったこともある。「人はすべて草のように・・・・・ 」という歌詞に惹かれていたこともある。

しかし何よりも、長嶋先生という合唱指導者がよかった。全くの初心者にはちょっと厳しかったかもしれないが、実によく考えた練習プログラムだった。ドイツ語の発音指導をしてくれた大河内ロスヴィータさんもよかった。毎年ながら、橋本周子先生の話もよかった。von  nun  an  という言葉の意味を深読みする、プロの読み方というものを教えてもらった。

しかも今年はオーケストラはニューフィルハーモニー千葉。千葉県唯一のプロのオーケストラ。さすがにアマチュアとは音量が全然違う。近代楽器のハリのある美しい音といっしょに歌えた。指揮者は大井剛史先生。まだ若いけれどニューフィルの常任指揮者。我々の様な素人相手の演奏でも、手を抜くことなく、自分の音楽を造ろうとしていた。(合唱の歌い手が歌い手なので、うまくいったかどうかは別問題だが)

本番の演奏は、テノールが走ってごちゃごちゃになりそうなところがあったし、飛び出し、音の残りなどいろいろあったけれども、それでも例年に比べればよかったのではないかと感じている。本番中にふいに何か「ああ、合唱をやっていてよかったなあ」と感じてしまった。余りない経験だった。

この催しは、毎年何らかの不満が残って、よくやってくれている県の文化振興財団の人には申し訳ないけれども、文句をブログに書かせてもらってきた。でも今年はよかった。久しぶりにアンケートを書いた、「次回もこのレベルを維持してほしい」と。

わたしの今年度の合唱シーズンは終わった。これから、次のシーズンに向けて練習の日々が続く。また少しずつ努力しよう。

2012227日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月21日 (火)

モーツァルトを「造った」男

小宮正安 講談社現代新書  講談社  2011320

モーツァルトの作品には必ず付与されている、「ケッヘル番号」というものを作ったケッヘルという人物の伝記である。本書中にもあるように、その番号が一般的によく知られているのにもかかわらず、ケッヘルという人物に関して知られることはほとんどない。本書はそのケッヘルの内容の充実した伝記である。

簡単にいえばハプスブルグ家の子供たちの家庭教師として信頼され、平民から貴族に列せられた男。鉱物学、植物学などを研究し、音楽も研究し著作も多い。著者は「ディレッタント」という言葉で表現しているが、ケッヘルは要するにハプスブルグ帝国末期に多くいた、趣味でいろいろなことを研究した人々の一人であるとのことである。

なぜ、あれだけ死の直前には冷遇されたモーツァルトが、死後ウィーンでもてはやされたのか、なぜケッヘルがその全作品を網羅した作品目録を完成させたのか、本書を読むと良く理解できる。偉大な芸術家も本人が偉大なだけでは歴史には残らないのであって、社会がその人を必要としなければならず、また歴史にうずもれさせないように記録を残す人が必要なのである。モーツァルトもそうなのだ、ということがよく分かる。

ドラマティックな内容がなく、平板になり易い内容だが、大変興味深く読めたのは著者の実力だろう。しかし、本業とは異なるケッヘルの研究でこうした本を仕上げてしまうところは著者も「ディレッタント」なのかもしれない。

2012221日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月13日 (月)

上原彩子 ピアノリサイタル

2012212日。千葉県の文化振興財団が主催して行っているコンサート。

クラシック音楽があまり人気のない千葉県でも今回は89割の入り。

上原彩子という人は、2002年の第12回チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で日本人として初、かつ女性として世界で初めて優勝を果たした人。ずっとヤマハのピアノ教室で育ち、音楽大学を卒業していないという、日本人ピアニストとしては変わった経歴を持ったひとである。ヤマハがここまで人を育てた、という生き証人のような人。

演奏曲目はベートーヴェン:ソナタ第8番 ハ短調 「悲愴」Op.13、リスト:「詩的で宗教的な調べ」より第3曲 「孤独のなかの神の祝福」、リスト:リゴレッド パラフレーズ。休憩の後に ラフマニノフ:練習曲集「音の絵」Op39

ベートーベンのソナタの他は、私は知らない曲。どれも難曲。たしかに良く指の動く人だ。ピアニッシモの早いパッセージは見事で美しい。ただし、選んだ曲にもよるのだろうが「どうだ、すごいだろう」という曲ばかりで、やや疲れた。ベートーベンはかなりロマン派的な演奏で「ため」が大きく、それなりに良いのだが、端正で奥が深いというわけではない。もしかすると聞きこむと飽きるかもしれない。

ここまで技術を持った人であれば歴史に名を残す演奏家になることも無理ではあるまい。しかし、そのためには、これが自分の音楽であるというものを構築しなければならないだろう。人間的な深みということなのかな。良く分からないけれど、なにか付け加わらないと、「上手なピアノ弾き」になってしまわないだろうか。1980年生まれというからまだ若い。これからだと思う。

2012213日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月10日 (金)

新約聖書 Ⅰ、Ⅱ

 共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会  佐藤 優解説  文春新書 文芸春秋 20101120

私が通った幼稚園はキリスト教系の幼稚園であった。卒園記念の新約聖書はずいぶん長いこと、つい最近まで本棚の主要部分に収まっていた。最近見かけないがどこかにあるはずである。しかし、その後の私はニーチェの「神は死んだ」などという言葉に心を動かされ、また、きわめて通俗的な人生を歩んできたために、実は聖書を通読したことはなかった。まったく恥ずかしいことである。以前に、ウィリアム・M・ギャレット監修 松村あきこ・飛田茂雄訳の新約聖書(角川文庫)を読んではいて、その時はこれでいいか、と思ったのだが、この本は新約聖書のすべての部分がおさめられているわけではない。今回の本が新約聖書の全体であるので、やっと、聖書を読んだ、といってもよいことになると考えている。この状態で、西欧文化を理解しようとしてきたのだから、無謀だったなと思う。今回初めて全体を通読してみてつくづくそう思った。理解の順序が逆なのだ。聖書が血肉になっている人が「神は死んだ」という言葉を受け止めるべきなのだ。

現在ドイツレクイエムを練習中で、もうすぐ本番なのだが、指導の先生が「新約聖書はぜひとも読んでください、特にヨハネの黙示録は物語としても面白いですよ。」と薦めたので従ってみたのだ。(前の本には黙示録は入っていなかった。)ラテン語のミサ典礼文を歌うのでない場合、たとえばバッハにしろ、ブラームスのこの曲にしろ、聖書から歌詞が直接ひかれていることが多い。で、聖書のどの部分の言葉が引かれているのか、その前後で聖書ではどういう話が展開しているのかを知らないと、その曲の歌詞の持つ意味合いが本当はわからない。言葉を歌う、とよく言うけれど、日本語の場合、特に勉強しなくても背景とかそういったものがある程度は想定できるが、ドイツ語、特に宗教的な文章の場合、それなりに勉強しないと意味がよく分からない。したがって、どのように歌うのかも、実はよく分からない。

で、だから、「本当は日本語の歌を歌いたいんだよ」という欲求に従う道もある。しかし、一方で「もっと、勉強すればよいのだ」ということもあり得るのだ。この道は奥がとてつもなく深いので余り深みにはまりこむと、本業がおろそかになりかねない。でも、もういいか。そろそろ年金生活が始まろうとしているのだから。いろいろ勉強してあると、旅行に行っても楽しいしな。その楽しみのためもある。

この本は本屋でフト手に取った本。解説者は鈴木宗男事件に関連して有罪が確定した元外務省官僚。神学科出身で異色の経歴のひと、博覧強記の人。もともと聖書に関しては本職であるのだが、自分の人生のなかでの聖書とのかかわりについて「解説」という形で文章を付けている。悪くはないのだが、少し考え込む内容である。しかし、自分はあまり深く考えないようにしたいと思う。あくまで音楽の為の勉強だから。

2012210日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月20日 (火)

音楽のよろこび

レナード・バーンスタイン 吉田秀和訳 音楽の友社 昭和41年2月28日

学生の頃、この本を読んで、クラシック音楽に対する理解がひどく進んだような気がして、感激したことを覚えている。高かった本だし、大事にしていたはずなのに、引っ越しを繰り返すうちに失ってしまってから、ずいぶんの年月がたった。古本屋を覗くたびに探してはいたのだが見つからなかった。ふと最近思いついてアマゾンで探してみたら1冊あった。すぐに買った。比較的状態の良い本を再び手にすることができた。世の中は便利になっている。

それで、何十年ぶりに読み直してみた。この本1970年以前に書かれているから40年以上前の本なのに面白い。一部はテレビ番組の台本をもとにしているのだが、その番組がもとにあって、日本では黛敏郎司会の「題名のない音楽会」が始まったのだと記憶している。

それはともかく、この本では、普段自分がなんとなくボーっとした形で理解していることが明瞭な言葉に表現されているように思える。バッハのマタイにしても、まさしく初心者向けにポリフォニー音楽であること、しかし物語性が極めて豊かな曲であることが解説されている。「ウンそうなんだ」あるいは「そうだったんだ」というのが読後感である。

同じことを述べている音楽の本はたくさんあるのではないかと思うが、このように読みやすく面白い本は他にないように思う。良い本はいつ読んでもよいものだ。

 

20111219日)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«メッツマッハー指揮 新日本フィルコンサート